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統合医療学会に身体均整法に関する論文を提出2

                  三浦宏明 理事(学術部長)


「身体均整法の特徴と運動学的な意義について」(2)
characteristic and significance of kinsei、a view of kinematics



(前回に引き続いて、6月末に日本統合医療学会に提出した論文「身体均整法の特徴と運動学的な意義について」の内容を紹介してゆきます。)



はじめに
 WHO 『運動器の十年』が指摘されているように、運動系は人間の生活(QOL)を支える重要な器官である。身体運動や日常動作ばかりでなく、表情、発声、視覚など、コミュニケーションの手段としても重要な役割をはたしている。

身体均整法は、運動系の観点にたってクライアントの身体の状態を捉え、姿勢や運動の改善を通じて、身体症状や運動制限の克服をはかろうとする手技療法である。

統合医療の枠組のなかで身体均整法が活用されてゆくためには、実際の施術事例や施術実態をふまえ、運動系をめぐる他の研究領域(運動学やバイオメカニクス、体育学など)と照らし合わせながら、効果や適性の解明が不可欠である。

国立情報学研究所の提供する論文情報ナビゲータ「CiNii(サイニー)」を利用し、現在に多方面で進められている姿勢や動作の研究をふまえ、身体均整法の効用について考察を試みた。


1.手技療法としての身体均整法の性格
身体均整法は、「運動系を基盤とする体育手技療法」と位置付けられている(※1)。この特徴は、1950年代に展開された「療術科学化運動」と深く関わりがある。先ずこの点について、若干説明しておきたい。

第二次世界大戦前、医療類似行為の営業活動は内務省所管の警視庁令によって届け出制で監督されていた。

警視庁令では、法令に定められた治療や施術とは別個に、「療術行為」(いわゆる民間療法)について、次のように規定していた。

「疾病ノ治療又ハ保健ノ目的ヲ以テ光、熱、機械器具ソノ他ノ物ヲ使用シ若ハ応用シ又ハ四肢ヲ運用シテ他人ニ施術ヲ為スヲ謂」(警視庁令第43号 1930.11.29) 第二次世界大戦後、占領下の医療改革を担当したGHQの公衆衛生局(PHW)は、療術に代表される非科学的な民間療法を排除しようとする基本方針を持っていた(※2)。

やがて新しい憲法の元で「あん摩師、はり師、きゅう師及び柔道整復師法」(1947/12/20、法律第217号)が施行され、あん摩師・はり師・きゅう師・柔道整復師以外のものが医療類似行為をおこなうことが禁止された(※3)。

このような戦後の社会状況の変化は、民間療法の分野に大きな変化をもたらした。 第一に、戦後の新しい法体系にかなう資格に向けた取り組み(=そのための理論化)の必要性が理解されるようになった。さらに、新たに制定された憲法25条にそって、「健康で文化的な最低限の生活」を実現するために貢献しようとする公共性の意識が芽生えていった(※4)。

全国療術師会を中心に展開された「療術法制化運動」(※5)は、たんに営業権を守ろうとする保守性を超えて、時代の要請にあわせて民間療法に合理性や科学性をもたらそうとする改革運動を呼び起すこととなった。

身体均整法は、そのような時代背景のなかで、当時、愛媛県療術師会の学術部長をつとめていた亀井進(1911〜1975)によって発表された(※6)。身体均整法は当初から、手技療術の資格化を目指そうとする体系化・合理化の指向を備えていたのである。

亀井は、『日本療術学』(愛媛県療術師会篇1951)において、「広く人類の保健衛生に意義のある技術」を確立することの必要性を訴え、手技による療術は「運動系に対する調整技術」として体系化されるべきであると主張した(※5)。

当時の業界紙『全国療術新聞』を見ると、1956年4月から2年間にわたって「身体均整法」の連載が続けられている(※7)。これは全国の療術師のなかにも、亀井らの運動に対する受け皿がある程度広がっていたことの証しであろう。

このような経緯から、身体均整法は、カイロプラクティック、オステオパシー、スポンデロテラピィ、整体操法など、当時の手技療術の内容を幅広く融合し、姿勢・動作の改善といった運動器への作用を目的とする手技療法としてスタートすることになったのである。


(つづく)



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